稲叢懐古(天 12)

吟譜(PDF)

作者:太宰春臺

(一六八〇~一七四七年)江戸中期の儒者、名は純(あつし)、字は徳夫(とくふ)、幼名千之助、通称弥右衛門、春臺または紫藝園(しげいえん)と号した。

もと平手姓であったが父の代に太宰謙翁の養嗣子となり太宰家を嗣ぐ。主に従って下野(しもつけ)より信州飯田に移る。 のち出石(いずし)侯に仕え、また森川出羽守にも仕えたが、三十六歳以後自由の身となり専ら文筆をこととする。たまたま 赤穂浪士復讐の件起こるや、師の荻生徂徠(おぎゅうそらい)と反して非難する。情を捨て理をとる理論家であったが詩は流麗であった。 多くの著書がある。

語釈

*沙汀・・・砂浜の波うちぎわ
*煙波・・・かすみ(もや)のかかった波
*浩・・・・水 波などがひろびろとしたさま
*聞説・・・きくところによると(説は助字)
*三軍・・・大軍のこと
*空山・・・人けのないさびしい山 しずかな山
*迢逓・・・はるか遠くへだたること

通釈

稲村ケ崎の砂浜遠く南を望めば、広々と靄(もや)が立ちこめている。聞くところによると、 新田義貞の大軍がここから干潟(ひがた)を渡り、鎌倉に攻め入り北条高時を亡ぼしたという。いったん退いた海水ももとに帰り、人の世の事も変わってしまい、今は敵味方もすべて跡かたもない。ただ人けのない山が遠く連なり、 夕日がいっぱいに照らしている。

範吟

素読・範吟 鈴木精成

伴奏

伴奏(2本)

伴奏(6本)