芳野に遊ぶ(天 242)

吟譜(PDF)

作者:賴 杏坪

(一七五六~一八三四年)(宝暦六年~天保五年)・江戸時代後期の儒者。名は惟柔(これやす)、字は千祺(せんき)、通称は万四郎、号は杏坪(あんず)、春草、杏はん(きょうはん)、 杏翁等ある。賴 春水の末弟で山陽の叔父にあたる。安芸(現広島県)竹原に生まる。十八歳の時、兄春水を頼って大阪に遊学、 二十歳の時江戸に出て服部栗齋(りつさい)に学び、天明五年安芸の藩儒となり藩学の興隆につとめた。一方、山陽をよく 庇護(ひご)し教育に力を注いだ。文化八年(一八一一)より郡奉行を兼ね敏腕をふるい名声をはせた。和漢の学に通じ、 漢詩は春水と共に定評あり。纂評(さんぴょう)春草堂詩鈔、芸備孝義伝、原古編の著書や、鑒古録(かんころく)の編纂、 芸藩通志の編集等もある。更に唐桃集という和歌集もある。天保五年七十九歳で没した。

語釈

*萬人・・・・おおぜいの人。
*芳叢・・・・花がたくさん咲いている草むら。
*攪・・・・・かきまわす。 ふみつける。
*恨殺・・・・はなはだしくうらむ(殺は助字)。
*殘紅・・・・ちりのこった花。
*延元陵・・・後醍醐天皇の塔尾陵(とうのおのみささぎ)。

通釈

吉野山に花見に来た多くの人々は酒に酔い、芳叢は荒らされている。南朝の昔を 想って自分と同じ感慨を抱く者は、この中に誰かいるだろうか。更に恨めしいのは、散り残った花までが、北に向かって飛んで。後醍醐天皇の御陵のほとり、風に散る花のうちに、 しばらく立ちつくしているのである。

範吟

素読・範吟 鈴木精成