鮫島生の東行を送る(続天 95)

吟譜(PDF)

作者:横井小楠

(一八〇九~一八六九)(文化六年~明治二年)・江戸末期の思想家・政治家。熊本藩士。通称、平四郎。藩政改革に努めたが失敗し、松平慶永(春嶽)に招かれて福井藩の藩政を指導。富国強兵を説き、また、幕府の公武合体運動に活躍。明治維新後、暗殺された。著「国是三論」など。

語釈

*鮫島生・・・・・・ 「生」 字は目下の人につける。現在の君のようなもの。また、姓名の下につけて、自ら卑しくしていう。
*五尺短身・・・・・たかだか五尺の身に、という意
*筇 (キョウ)・・・杖。
*千山万水・・・・・多くの山や川。旅程の遥か長いことを示す。
*無蹤・・・・・・・行方が知れないこと。 「蹤」 は足跡の意。
*平生・・・・・・・常日頃。
*心事・・・・・・・心に思うこと。志と言い換えてよい。
*知何処・・・・・・どこにあるのかわからない、ということ。
*芙蓉第一峰・・・・「芙蓉」 は富士山の別称。 「芙蓉」 と 「第一峰」 とは同格で 「寄」 「在」 の二字を受けている。また、題名に 「東行」 とあるので、東方 (江戸) を象徴するものと見てよい。

通釈

五尺の体に竹の杖一本を携えて、遥か遠くを目指して旅を続けてゆく。
君の、日ごろの志が何処にあるのかは知らないけれど、きっと天下の第一峰せある、かの富士山に托してあるのであろう。

解説

鮫島生とは鮫島雲城のことである。薩摩藩士横山詠助の子、横山弘、通称休之進が本名である。藩校造士館に学んだが、脱藩して江戸に出、鮫島雲城と名を変えて活躍した。やがて捕らえられ、送還されたが、ふたたび脱藩して土佐に行き、後藤象二郎に救われて渡英し、明治政府に仕えて累進して貴族院勅選議員となり、京都府知事在任中に病没した。この詩、おそらくは、鮫島が第一回目の脱藩を敢行した時、途次、熊本の横井小楠を訪れた折のものであろう。鮫島は、天保九年 (一八三八) に生まれ、一方、小楠は安政五年 (一八五八) に熊本を去っている。鮫島の脱藩が何年のことか明らかではないのだが、遅くとも、小楠四十九歳、鮫島二十歳のころの作と見たい。脱藩して、わずか身一つで江戸へ向かう鮫島に、第一流の人物となることを目指せ、と贐の詩を作ったのである。

鑑賞

これから旅に出ようとする鮫島生に贈った、贐の詩である。起句と結句とは、対句にはなっていないが、起句から受ける 「小」 のイメージと、承句の 「大」 を感じさせるイメージとが対照的に並列されて、旅の前途の困難なこと、また、旅する者の孤独なことを表している。しかし、結句では、志を立てたい上は困難に克って素志を遂げよ、と激励している。全体が歯切れよく、特に結句は力強く詠われている。贐の詩としてふさわしい結び方である。