湘江を渡る(続天 124)

吟譜(PDF)

作者:杜 審言

(六四五~七〇八年)中国・唐代(初唐)の詩人。襄州襄陽(現在の湖北省襄陽市)の人。字は必簡。西晋代の杜預の子孫に当たり、杜依芸の子。子に杜閑・杜并ら、孫に杜甫がいる。六七〇年進士となり、隰城県(河南省)の尉となった。自らの才能を恃むところ頗(すこぶ)る強く、大胆な放言をしては周囲から憎悪されていた。また、杜審言は立場が上の人間に対する態度は弱く、武則天に召し出された時には、必要以上に媚び諂って感謝するという有様であった。しかし、詩を絶賛されたり、李嶠・崔融・蘇味道らと共に「文章四友」と呼ばれるなど、その才能は認められていた。七〇五年頃、武則天の寵臣・張易之らと親しくしていたために左遷され、峰州(ベトナム近く)に流された。その後、都に戻って国子館主簿・修文館直学士になり、病死した。死に際しても見舞いに来た友人の宋之問らに「わたしの才能が今まで君達を押さえ込んできたが、これからわたくしが死ぬからにはさぞ喜ばしかろう」などと言い放ったという。

通釈

春の日の庭や林での昔の遊びが恋しく、今年の春の花や鳥は辺地の人の愁いとなる。

独り残念に思う 都の人が南方へ追放されるのは、湘江の水が北方へ流れているのと違うこと。

備考

詩題の「湘江」は湖南を北流して洞庭湖に注ぐ川で、杜審言はこの川を遡って峰州に向かいました。「遅日」は『詩経』豳風「七月」に「春日遅遅」とあるのに基づき、麗らかな春の日です。「昔遊」はかつての行楽、都の日々を懐かしんでいるのでしょう。「辺愁」は辺境の地にあることの憂いであり、流謫の身を嘆きます。