相を罷めて作る(続天 130)

吟譜(PDF)

作者:李 適之

(生年不詳 ~七四六年)・唐代玄宗朝の政治家。皇族として生まれ、宰相になったが、李林甫に嵌められて失脚し、追いつめられ、自殺した。始めの名は昌といった。神龍年間に左衛郎将、開元年間に通州刺史になり、治績をあげた。韓朝宗の推薦により、秦州都督に抜擢された。地方官を歴任し、政務は細かくなかったため、下吏から好まれた。治水において功績をあげて大いにたたえられ、御史大夫に昇進した。さらに刑部尚書となった。客を好み、一斗の酒を飲んでも酔わなかった。夜に宴会を開いて昼に物事を決め、案件が滞ることがなかった。七四二年、牛仙客に代わり、左相(左僕射・宰相)となった。李林甫とは権力を争ったため、李林甫は李適之を失脚させようとした。李林甫は「華山は金を採れる。国を富ますことができるが主上はまだ知らない」と李適之に語り、粗忽な李適之は玄宗にそのことを語った。玄宗が李林甫に問うと、李林甫は「私は知っていましたが、華山は主上の本命であり、王気があるところなので、主上のために言いませんでした」と答えた。玄宗はこのために李林甫を信用し、李適之に冷たくなった。また、李適之と仲が良かった韋堅・皇甫惟明・裴寛・韓朝宗が李林甫に陥れられ、罪を得た。このため、不安のあまり宰相職を返上して太子少保となった。しかし、韋堅に連座して宜春太守に左遷させられ、韋堅を殺した羅希奭が宜春を通った時、薬を飲んで自殺した。杜甫の詩『飲中八仙歌』で、賀知章、李白らとともに飲中八仙の一人として歌われている。

通釈

自分がいつまでもがんばっていては後進の邪魔になるから、賢人の進む路を避けるために宰相をやめた。そしてのんびりと酒杯を口にして、隠しことばでいえば聖人の道をたのしむという気持ちで、つまり清酒の醇なやつを存分に頂戴しようというわけ。それはそうとして、さてちょっと訊くが、玄関をおとないお客さんは、今朝は何人来たかい。急にひっそり閑としてしまったね。