常徳を去る舟中感じて賦す(続天 149)

吟譜(PDF)

作者:秋瑾

(一八七五~一九〇七年)・中国の婦人革命家。鑑湖女侠と号した。浙江省紹興を原籍とする官吏の家に生れ、父の任地の湖南省出身者と結婚したが、思想的相違から離婚、女性として初めて日本に留学し、中国革命同盟会に入った。一九〇六 年日本の留学生取締りに抗議して帰国。紹興で教師をしながら革命運動に従事。同郷の徐錫麟と「光復軍」を編成し、挙兵を計画したが、徐の安徽巡撫暗殺事件で露見して捕えられ、拷問のすえ斬首という無惨な最期をとげた。三十一歳であった。「秋風秋雨,人を愁殺す」の句を残して処刑された。

通釈

備考

武田泰淳に『秋風秋雨人を愁殺すー秋瑾女士伝』という有名な著作がある。『秋風秋雨愁殺人』は、秋瑾が刑死の直前に書きしるした絶命の詞である。斬首という壮烈な死を直前にして、この七文字の詞にこめた三十一歳の若き女の生涯とは、一体どういうものだったのであろうか。

秋瑾は一八七五年、福建省で生まれた。父は清朝政府の官僚であった。 母は教養豊かで教育熱心な女性だったが、保守的な面もあり、秋瑾は この母によって無理やり纏足(てんそく)をさせられた。当時の風習として、纏足は良家の娘の絶対条件だったのである。秋瑾は二十一歳で結婚した後、この纏足をやめ放足したが、すでに異形化した足は元へ戻らず死ぬまで歩行に難渋していたという。しかし日頃は男のような黒い革靴をはいて動き回っていた。彼女が革命運動にのめりこむきっかけは、この纏足によって象徴される女性の解放運動だったという。

範吟

範吟 鈴木精成