西南の役陣中の作(続天 156)

吟譜(PDF)

作者:佐々友房

(一八五四~一九〇六年)熊本藩士の家に生まれ、青春時代には維新の現実を目の当たりに見たが、明治七年、西郷隆盛らの征韓論が敗れると、友房は薩軍熊本隊の小隊長として西南の役に加わり、明治十年、田原坂の決戦に敗れて囚われ十年の懲役刑を受けたた。明治二十三年第一回衆議院爾当選。五明治三十九年没す(五十三歳)。

通釈

《この作品は、その時(西南の役)の戦場の激しさと敗北感を対比して訴えたもの》
雨は激しく着ている軍服に叩きつけるように降り続け、風も砂を巻き上げるように吹いている。十里四方の見渡す周囲(江山は山川)には人家はわずかに二,三軒見えるばかり。壮大な計画(征韓論)も思うようにならず、この地の戦い(西南の役)に敗れ、恨みが残ほど残念だ。共に戦った我が馬を断ち切れたの傍に立ち止まらせただ落ち行く花を見つめている。

備考

《西南戦争》西郷隆盛は征韓論に敗れ鹿児島に帰り、外征に備え、強固な軍隊を目的として私学校を創立した。政府は西郷が政府に反旗を起こすのではないかと密偵を送り、西郷暗殺も思案に入れていた模様です。政府は鹿児島に置いていた火薬・武器・弾薬を秘密裏に運び出す行動を行ったので、私学校生達は、当然一朝事ある時の為の鹿児島藩のものと思ってたもので怒り爆発、西郷は大隈半島に狩猟に出かけ不在だったが、過激な私学生達は、鹿児島の草牟田の陸軍火薬庫を襲撃した。その後も次々と火薬庫を襲撃、これを聞いた西郷は若者達を捕らえ政府に差し出すことは出来ないと、命を生徒達に預け、政府軍に立ち向かうことを決めた。これが西南の役の始まりである。