筑波山の絶頂に登る(続天 177)

吟譜(PDF)

作者:安積艮斎

(一七九一年~一八六〇年)(寛政三年~万延元年)陸奥(後の岩代)二本松藩の郡山(福島県郡山市)にある安積国造神社の第五十五代宮司の安藤親重の三男として生まれる。名は重信、字は子順(しじゅん)、別号は見山楼。十七歳で江戸に出て佐藤一斎、林述斎らに学ぶ。文化十一年(一八一四年)、江戸の神田駿河台に私塾「見山楼」を開く。嘉永三年(一八五〇年)には昌平黌教授となり、ペリー来航時のアメリカ国書翻訳や、プチャーチンが持参したロシア国書の返書起草などに携わる。また、幕府へ外交意見として『盪蛮彙議』を提出した。没する七日前まで講義を行っていたと伝えられる。

語釈

◎筑波山頂に登った時の感想を歌ったもの。

*筑波山・・・・・・・・関東地方東部の茨城県つくば市北端にある標高八七七mの山。
*突兀・・・・・・・・・山・岩などのけわしくそびえるさま、他にぬきんでて高いさま。
*絶巓・・・・・・・・・絶頂
*歴々・・・・・・・・・はっきりしているさま。
*雙鞋(そうあい)・・・草鞋(わらじ)

通釈

高く聳え立った奇峰は雲の上に浮び、風は空高く吹き、絶頂はいままさに秋、見下ろせば関東の山や川ははっきりとわが足の下に見えこの雄大さに思わず絶叫しようとしたが、その一声が関八州を驚かしは恐れ多いので眺めるだけにした。