大楠公(天 165)

吟譜(PDF)

作者:徳川齊昭

(一八〇〇~一八六〇年)(享和元年~安政七年) 幕末の大名。江戸に生まれた。景山(けいざん)・潜龍閣(せんりゅうかく)と 号した。一八二九年、兄の水戸藩主斉脩(なりのぶ)の死に伴い、藤田東湖ら藩政改革派 の推戴(すいたい)により藩主となった。従来の兵法に西洋式軍備、軍事学を導入。藩校弘道館を設立し 、社寺の整理にもあたるが、のち門閥派と対立、一八四四年幕命により隠居を命ぜられる。 一八六〇年六十一歳にて没す。

語釈

*大楠公・・・・楠木正成の敬称 なお 長男正行(まさつら)を小楠公という。
*豹死留皮・・・『五代詩』に「豹は死して皮を留む人は死して名を留む」とあり  「豹でさえ死後に美しい毛皮を残す まして人は死後に名(立派な名声)を残さねばならない」 の意
*湊川遺跡・・・大楠公とその一族が足利尊氏の軍に兵庫湊川で敗れ 戦死した跡。
*精忠・・・・・少しも私心のない純粋な心

通釈

豹は死して皮を留め、人は死して名を留めるという諺があるが、人が名声を後世 に残すのは決して偶然ではなく、必ずそうなるべき原因がある。南朝の忠臣大楠公が戦死を遂げた 湊川の遺跡に来てみれば、川の流れが天に連なって今も昔も変わりがない。人の一生には限りがあるが、立派な人物の名声は、永遠に尽きることがない。大楠公のように純粋な 忠義の精神は、いついつまでも伝わって、忘れ去られることがないのである。