花に対して旧を懐う(天 198)

吟譜(PDF)

作者:釋 義堂

(一三二五~一三八八年)・南北朝時代の高僧。姓は平氏、名は周信(ちかのぶ)、字は義堂、号は空華道人(くうかどうじん)。土佐高岡郡の人、 正中二年正月生まれる。十四歳で剃髪、比叡山の「道円阿闍梨(どうえんあじゃり)」、 京の「夢窓国師(むそう)」、京都建仁寺(けんにんじ)の「竜山徳見(りゅうざんとくけん)」等に学ぶ。 鎌倉報恩寺の第一世となり、更に建仁寺、南禅寺に住み慈氏院(じしいん)に退休(たいきゅう)。嘉慶(かけい)二年病にかかり摂津 「有馬温泉」に浴した時、後光厳(ごこうげん)天皇から安否を問われ、天恩を謝す。同年四月三日、 衆に生死の始末を説き翌四日端坐(たんざ)したまま示寂(じじゃく)したという、享年六十四歳であった。 漢詩文集(もんじゅう)の「空華集(くうかしゅう)」二十巻、その他がある。

語釈

*懷舊・・・・・昔のことを思う。
*粉粉・・・・・わずらわしいさま。 みだれるさま。
*世事・・・・・世の中のこと、社会の出来事。
*舊恨新愁・・・亡くなった知人に対してもつくちおしさやさびしさ。
*暮檐・・・・・夕暮れ時の軒端。
*紫荊花・・・・花蘇芳(はなずぼう)(我が国では紫荊(しけい)という)

通釈

わずらわしくとり乱れている世の中はまるで麻糸のもつれた様である。ふるい恨みごとや新しい愁いごとで 私の心は只嗟(なげ)くばかりである。(南北朝時代の権勢の争いで幾人の知人が亡くなったことか)春のうたた寝から醒めてみれば、今夢の中で見た人はもう見えず、夕暮れの軒端(のきば)に雨が降りそそいで紫荊の花を ぬらしているのである。