西教寺を問う(続天 93)

吟譜(PDF)

作者:広瀬淡窓

(一八七八~一八五六年)(天明二~安政三年)江戸後期の儒者。名は健、字は子基。号は淡窓、他に青渓、蒼陽、豊後日田の人。父は諸藩御用達商人。徂徠学派の亀井南冥に学び、(文化二年)、家業を弟に譲って、二十六歳の、時書塾桂林荘を開き、次第に入門者が増え、十年後に堀田村に移し咸宜園と称した。塾生前後四千人に達し、盛んな事九州随一と云われた。門下生には高野長英、大村益次郎、谷口藍田、亀谷省軒、柴秋村、長三洲、清浦奎吾などの逸材が輩出した。頼山陽・梁川星厳田能村竹田などが訪れている。長年の育英の功により天保十三年(一八四二)苗字帯刀を許された。安政三年没。享年七十五歳

語釈

*西教寺・・・福岡市にある寺。
*亀王・・・・亀山天皇(元宼の文永の役に際し「敵国降伏」を祈願した)。
*昨日・・・・昔日の意。
*英雄・・・・ここでは元軍と戦った武者どものこと。
*長江・・・・本来は中国の揚子江のことですが、ここでは御笠川を指しています。
*往事・・・・昔のこと(文永、弘安の役をいう)。
*灘声・・・・ここでは川の流れる音。

通釈

亀山上皇の御代に築かれた防塁も、今では崩れて荻や蘆がぼうぼうと生い茂っている。このような有様の中からでは、昔、ここ博多湾に二度に渡り元が攻めてきて神仏の祈願と共に、国を挙げて武者たちは怯まず勇猛に戦った激戦のことなど想像もできない。川を見ながら、往事の戦の事を話すのはやめよう。往事と少しも変わらない川の流れと月の光とが、私の心にものの憐れを感じさせ、堪えられないほどである。