塞下の曲(続天 102)

吟譜(PDF)

作者:常 建

(生没年不詳) 唐の詩人。長安の人と伝えられるが、詳細不明。開元年間二十九年のうち、開元十五年(七二七)は中間の年に当たりますが、この年に王昌齢、常建という二人の詩人が進士に及第している。盱眙(くい、安徽省)の尉となったが、昇進が遅いのに不満を持ち、隠者の生活に憧れて、名山を歩き回った。あるとき山中で仙人のような女に会い、術を授かったと言われ、晩年は鄂渚(がくしょ、湖北省武漢市の西)に隠棲し、王昌齢らを招いて、自由な生活を送った。

通釈

備考

常建も若いころは王昌齢と同じように辺塞詩を作り、宴会の席などで披露していた。詩題の「塞下」(さいか)は砦の下。起句の「北海の陰風」は北の砂漠から吹く陰鬱な風とも解せますが、承句に「龍堆」(白龍堆)とあり、ロブノール(新疆ウイグル自治区東部にある湖)の東に広がる砂漠を差します。したがって、ロブノールの湖上を渡って吹いて来る北風と解することができます。「明君」は漢の元帝時代に匈奴の単于に嫁がせられた王昭君のことですが、その祠と称する地は数か所にあり、唐代は漠然としていたと思われます。龍堆を西に望むあたりは漢の長城の東端でした。そこを捉えて西域守備の陰惨な結末を詠うのです。ただし、常建が西域に従軍したとは考えられませんので、多くの辺塞詩と同様、想像の詩です。