子規(続天 109)

吟譜(PDF)

作者:良 寛

(一七五八~一八三一年)(宝暦八~天保二)号:大愚俗名は山本栄蔵(のち文孝に改名)。越後国三島郡出雲崎の旧家橘屋の長男として生まれる。父は名主兼神官を勤め、俳人でもあった。母は佐渡出身で、同族山本庄兵衛の娘。幼少時より読書に耽り家の蔵書を渉猟したという。儒者大森子陽の狭川塾に入り、漢学を学ぶ。十八歳の時、隣町尼瀬の曹洞宗光照寺に入り、禅を学ぶ。二十二歳、光照寺に立ち寄った備中国玉島曹洞宗円通寺の大忍国仙和尚に随って玉島に赴く。剃髪して良寛大愚と名のった。以後円通寺で修行し、三十三歳の時、国仙和尚より印可の偈を受ける。良寛は諸国行脚の旅に出る。越後国に帰郷し、出雲崎を中心に乞食生活を続けた。四十七歳の頃、国上山にある真言宗国上寺の五合庵に定住。近隣の村里で托鉢を続けながら、時に村童たちと遊び、或いは詩歌の制作に耽り、またこの頃万葉集に親近したという。五合庵より国上山麓の乙子神社境内の草庵に移る。自活に支障を来たし、三島郡島崎村の能登屋木村元右衛門方に身を寄せ、屋敷内の庵室に移る。貞心尼(当時二十九歳)の訪問を受け、以後愛弟子とする。天保元年秋、疫痢に罹り、翌年一月六日、円寂。七十四歳。

語釈

*子規・・・・・ホトトギス。
*煙雨・・・・・こまかい雨。
*濛濛・・・・・煙などがたちこめる様子。
*千峰万壑・・・たくさんの峰と谷。

通釈

細かい雨が煙のように降って、春はもうすぐ過ぎようとしている。どの峰もどの谷も春雨にけむり、はっきりと眺めることも出来ない。夕方、ホトトギスがしきりに鳴いていたが、夜が更けてからも更に竹藪に移って鳴いている。