秋江(続天 110)

吟譜(PDF)

作者:太田 錦城

(一七六五~一八二五年)(明和二年~文政八年)、江戸時代後期の折衷派の儒学者。名は元貞,字は公幹,通称は才佐,錦城と号した。加賀大聖寺の人。本草学にも通じた医者玄覚の第八子。初め兄伯恒に医を学び,のち医を捨て皆川淇園 (京都) ,山本北山 (江戸) に学ぶ。やがて刻苦精励して一家をなす。初め吉田侯,のち加賀侯に仕える(三〇〇石)。錦城の折衷学は宋学に毛奇齢,朱彝尊らの清朝初期の考証学を取入れたもの。博識をもって聞え,考証にすぐれていた。著書『九経談』 (十巻) ,『疑問録』『仁説三書』『一貫名義』など。随筆に『梧窓漫筆』 (六巻) がある。六十一歳

語釈

*秋江・・・秋の河口の情景描写。
*蓼花・・・蓼(たで)の赤い花。
*野塘・・・野外の堤防。
*渡口・・・渡し場。
*虚舟・・・人のなき空き舟。

通釈

一双の白鷺がカラの小舟を見つめている、渡し場の漁師の住家にいままさに夕映えが射し。たって流れることもない、水量が減りぽっかりと空洞になったような川の水は静かにたゆ、荒野の堤沿いに咲いた蓼の花も漢字の、この詩は。風景や心情の描写に洗練度が高くなります、漢詩は円熟期に入り、漢字の、この詩は。風景や心情の描写に洗練度が高くなります、漢詩は円熟期に入り、洗練度が高くなります、漢詩は円熟期に入り、江戸も後期になると葉も枯れて赤い実のような点々が目立つ秋、だが未だ大して荒涼とはしないまでの頃か。

範吟

素読・範吟 鈴木精成