従軍行(その二)(続天 126)

吟譜(PDF)

作者:王 昌齢

(六九八~七五五年)中国・唐代中期の詩人。字は少伯。就任した官職の地名から、王江寧、王竜標とも称せられる。山西省太原に本籍を持ち、京兆・長安に生まれたらしい。七二七年に進士となり、祕書省の校書郎から七三四年に博学宏詞科に及第して汜水(河南省)の県尉となったが、奔放な生活ぶりで江寧の丞・竜標(湖南省)の県尉に落とされた。その後、七五五年、安禄山の乱の時に官を辞して故郷に帰るが、刺史の閭丘暁に憎まれて殺された。後に閭丘暁(リョ キュウギョウ)は、安禄山軍の侵攻に対し、唐側の張巡を救援しなかった罪で、唐の張鎬に杖殺された。

語釈

*青海・・・・ココノール湖。
*雪山・・・・天山。夏でも雪が積もっているので、「白山」「雪山」などと呼ばれた。
*金甲・・・・金属製のよろい。
*玉門関・・・関所の名。甘粛(かんしゅく)省敦煌(とんこう)の西にあった。
*楼蘭・・・・今の新疆(しんきょう)ウイグル自治区、ロプノール湖の西にあった小独立国。

通釈

青海湖そして長く尾を引く白い雲、その長雲で暗くなった雪の山々がある。はるか平原にただ一つポツンと立っている玉門関をこの塞から望む。黄砂塵の飛ぶこの砂漠で、数えきれないほどの戦いをしてきたことか、こんなに鉄でできた鎧や兜にさえ穴が開いてしまっている、だけど、あの宿敵楼蘭の国を破らぬ限りは故郷に帰らないぞ!。

解説

中国の西から北の方はいわゆる砂漠地帯で、遊牧民族の国があった。この地域では、いつの時代も戦争をして絶えることなかった。万里の長城を築き、修理、拡張し、塞を築いたり、関所を設けた。そして多くの人にここの防御にあたらせた。遊牧民族対抗するには特に馬が必要で、隊の人の倍数馬を用意するので、従事する人、物、食料など国の財政に大きく影響を与えるものだった。人は、府兵制の徴兵で構成され、出征すると生きては帰れないといわれ、柳の枝折って送り出された。陰山山脈、砂漠。そこには中国本土にはない気候風土がある。砂漠の砂嵐、抜けるような青い空から灼熱の太陽、排尿した直後凍るほどの寒さ、そして何よりも黄色の砂漠に兵士たちの躯の白骨が点在する。むごたらしい情景は兵士を死の限界に追い詰める。突如響く「ドラ」の音、悲しげに聞こえてくる羌笛、馬の悲しげな嘶き、そして、月が昇ります。見渡す限りの荒野を明るく照らすのです。兵士にとって、大変なことですが、詩人はこうした日常的でない『非日常』を題材にしたのです。勇ましい戦場の詩より、『非日常』を、悲しみを、辛さを言葉巧みに美しい邊塞詩にしたのです。その代表的な詩は王昌齢「従軍行三首」其二です。戦場に行っていないからかけた傑作です。