青門の柳(続天 163)

吟譜(PDF)

作者:白 居易

(七七二~八四六年)、中唐の詩人。字は楽天。号は酔吟先生・香山居士。弟に白行簡がいる。鄭州新鄭県(現河南省新鄭市)に生まれた。子どもの頃から頭脳明晰であったらしく、五~六歳で詩を作ることができ、九歳で声律を覚えたという。彼の家系は地方官として役人人生を終わる男子も多く、抜群の名家ではなかったが、安禄山の乱以後の政治改革により、比較的低い家系の出身者にも機会が開かれており、八〇〇年、二十九歳で科挙の進士科に合格した。三十五歳で盩厔県(ちゅうちつけん、陝西省)の尉になり、その後は翰林学士、左拾遺を歴任する。このころ社会や政治批判を主題とする「新楽府」を多く制作する。八一五年、武元衡暗殺をめぐり越権行為があったとされ、江州(現江西省九江市)の司馬に左遷される。その後、中央に呼び戻されるが、まもなく自ら地方の官を願い出て、杭州・蘇州の刺史となり業績をあげる。八三八年に刑部侍郎、八三六年に太子少傅となり、最後は八四二年に刑部尚書の官をもって七十一歳で致仕。七十四歳のとき自らの詩文集『白氏文集』七十五巻を完成させ、翌八四六年、七十五歳で生涯を閉じた。

語釈

*青門・・・長安城の門
*離恨・・・別離の悲しみ
*都門・・・青門の事
*長條・・・長く垂れ下がっていること

通釈

青々としている柳の木は、見るからに痛ましい。ここでは今までに幾人の人が、別離の悲しみを味わってきたことであろうか。子の柳は青門の近くにあり多くの人達が別れを惜しむ為に、長く垂れ下がっている枝は殆ど折りつくされて、、春の風情をそこなう事がおびただしいのである。