東欄の梨花(続天 184)

吟譜(PDF)

作者:蘇 軾

(一〇三七~一一〇一年)、中国北宋代の政治家、詩人、書家。東坡居士と号したので、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれる。字は子瞻(しせん)。蘇洵の長子、弟は蘇轍であり、この三人に韓愈・柳宗元・欧陽脩・曽鞏・王安石を加えた八人を「古文」の唐宋八大家という。子に蘇邁、蘇迨、蘇過、蘇遯ら。曾孫は蘇公弼(威州刺史)、玄孫娘に耶律楚材夫人(蘇公弼の娘、耶律鋳の生母)がいる。

通釈

梨の花は淡い白、柳は深い青、その柳の花が飛ぶとき城内は梨の花でいっぱいになる、ところが自分は悲しい気分を抱きながら東の欄干に雪のような花を見る、これを見ることができるのははたしてどれくらいの年月なのかと思いながら

備考

一〇七七年蘇軾は密州から徐州の知事に転じた。徐州は江蘇省北部の交通の要衝であり、大都会であった。この地に蘇軾はわずか二年間在職したにすぎなかったが、行政官僚として洪水対策などで功績をあげたほか、詩人としての名声も飛躍的に高まった。そうした名声の高まりが、新法派の猜疑心を強め、やがて失脚へとつながっていく。この詩は徐州への転任直後に、後任の密州知事孔宗翰へあてて書いたものだ。