灞橋(続天 198)

吟譜(PDF)

作者:竹添井井

(一八四二~一九一七年)(天保十三年~大正六年)・明治の外交官、漢学者。名は光鴻(こうこう)、字(あざな)は漸卿(ざんけい)、通称は進一郎。井井は号。九州天草の人。熊本藩士で、戊辰戦争には藩の参謀を勤めた。明治維新後、大蔵省に出仕、清国天津領事、北京公使館書記官を歴任、一八八二年(明治十五年)朝鮮弁理公使となり、独立党を援助して清の勢力を排除しようと画策し、一八八四年甲申(こうしん)政変を引き起こした。一八八五年年公使を辞任し、のち東京帝国大学教授となり経書を講じた。とくに『春秋左氏伝』の研究によって学士院賞、文学博士の学位を授けられた。著書『左氏会箋(かいせん)』『桟雲峡雨(さんうんきょうう)日記』など。

通釈

参考

灞橋について・・・桁橋は以後も広範に用いられ,遺構も数多い。 西安の灞橋(はきよう)は漢代の創建と伝え,清末の再建ながら,円石を積み重ねた橋脚と片持ち木梁を用いた石軸橋と呼ばれる独特な構造で,同所の灃橋,滻橋とともに知られる。福建泉州の洛陽橋は橋脚,梁(桁)ともに石造の桁橋で,北宋の一〇五三~五九年の建設になり,上部は改造されたが現存する。