芳野懐古(天 239)

吟譜(PDF)

作者:藤井竹外

(一八〇七~一八六六年)(文化四年~慶応二年)・江戸後期の高槻藩士・漢詩人・大阪府高槻藩の名家に生まれる。人柄は大まかで気ままであった。銃砲の道に通ずるなど多才な人であったが漢詩人として身を立てた。頼山陽に師事し、広瀬淡窓などとも交わった。特に七言絶句では高い評価がある。晩年は官を辞して京都に住み、詩と酒を好んで悠々自適の生活を送った。享年六十歳。

語釈

*古陵・・・・・ふるい御陵。ここでは後醍醐天皇の御陵。
*松柏・・・・・松と柏ともに常緑樹。
*天・・・・・・天から吹くつむじ風
*山寺・・・・・山の中の寺 ここでは如意輪寺(後醍醐天皇の勅願寺 また南北朝時代 楠木正行=まさつら=が足利軍との戦いの前に訪れ 境内にある如意輪堂の扉に辞世の歌を鏃=やじり=で刻んだ名高い寺)
*寂寥・・・・・周囲が静かでさびしい。
*眉雪老僧・・・眉毛が雪のように白い老僧
*輟帚・・・・・箒で掃いているのをやめて。
*南朝・・・・・室町時代の初めに南朝と北朝の対立抗争があり 後醍醐天皇が吉野に入ってより後亀山天皇が京都に帰るまでの五十七年間

通釈

吉野を訪ねて、後醍醐天皇の古い御陵の前に来ると、松や柏の木は強い風にうなり声をあげている。山中の如意輪寺(にょいりんじ)あたりに春景色を尋ねてみると、桜の花は散り人影もなく静かでものさびしい。眉毛のまっ白な老僧がしばらく掃くことをやめて、落花の散り敷いたところで南朝の物語をしてくれた。

鑑賞

如意輪寺の老僧が南朝を説く。都から逃れてきた後醍醐天皇は吉野で崩御された。御陵・春嵐・山寺の字句を並べて「春寂寥」を描写しています。物寂しい叙景を表すと共に、昔ならばもっと華やかであっただろうと懐古の情を連想させます。この詩は前半2句を風景、後半2句は老僧の動作を詠いながら悲しく哀れな昔の出来事をしみじみ思い出させる情感がこめられています。 またこの詩は芳野を詠んだ傑作として河野鉄兜(こうのてっとう)、梁川星巌の作と合わせて芳野三絶といわれています。

範吟

範吟 鈴木精成