岩崎谷の洞に題す(天 7)

吟譜(PDF)

作者:杉 聴雨(孫七郎)

(一八三五~一九二〇年)(天保六年~大正九年)日本の武士・長州藩士。明治・大正期の官僚。諱は重華。

字は子華。通称は徳輔・忠次郎・少輔九郎。号は松城・聴雨

周防国吉敷郡御堀村(現在の山口県山口市)で生まれる。母は周布政之助の姉である。杉考之進盛倫の養子となり、藩校明倫館で学んだ他、吉田松陰にも師事した。

藩主の小姓を務めた後、一八六一年(文久元年)、藩命により江戸幕府の遣欧使節である竹内保徳・松平康英らに従って欧米諸国を視察する。

帰国後、下関戦争では井上馨とともに和議に尽くし、元治の内乱では高杉晋作を支持しつつも、保守派との軍事衝突には最後まで反対した。四境戦争では長州軍の参謀として活躍した。明治維新後には山口藩副大参事となる。秋田県令を歴任、後に皇太后宮大夫に転じる。一八八七年(明治二十年)に子爵に叙せられ、一八九七年(明治三十年)に枢密顧問官に転じた。

語釈

*首邱・・・・もとを忘れないこと。キツネはもと住んでいた丘の方に首を向けて死ぬという。故郷を思うこと。
*棋響(ききょう)・・・・囲碁の響き

通釈

半年の間、幾度も戦ったが成果を上げ得ず狐が死んで故山を向くたとえのように、幸いに故郷に帰り得た。しかし、自然に笑えてくる、今、正に死のうとして仙人のように落ち着き終日洞中で碁を囲み、その響きはいかにも静かなのである。

『西南戦争で敗退し、岩崎谷の洞窟にこもった時の西郷翁の心中を詠んだもの』