宴に侍して恭しく賦す(天 19)

吟譜(PDF)

作者:元田永孚

(一八一八~一八九一年)(文政元年~明治二十四年)・儒学者。宮内省官僚。号は東野。熊本藩出身。時習館に学び、横井小楠の感化を受けた。幕末、京都留守居・高瀬町奉行などをつとめ、維新後は、明治三年(一八七〇年)、宣教使・参事を兼任。宮内省に出仕し、明治天皇の侍読・侍講をつとめた。この間、『教学大旨』、『幼学綱要』を執筆。儒教主義による国民教化に尽力。『教育勅語』の草案を作成。 明治天皇の信任厚く、宮中における保守思想の代表であった。

語釈

*侍宴恭賦・・・宴席に侍(はべ)って、つつしんで詩を作る

通釈

人は年々年をとって、二度と元気盛んな昔にかえることはない。花はそれにひきかえ、毎年毎年幾回も新しく開くのである。

今宵菊花の御宴に、かたじけなくも陛下から、「朕は菊花よりも老臣を愛する」と直諚あらせらたことは、何とも恐懼、聖恩のありがたさに感泣し奉った次第である。

【備考】

この詩は、明治十年十一月二十一日の観菊の御宴に陪席した際の作。当時六十歳であった作者は、若き明治天皇の信頼厚く、宴の席上詩吟を披露した所、天皇から「朕は菊花よりも元田が詩吟を愛するなり」と言葉を掛けられ、本誌が作られる契機となった。