春日山懐古(天 30)

吟譜(PDF)

作者:大槻磐渓

(一八〇一~一八七八年)享和元年5月仙台藩医玄沢(げんたく)の次男として江戸木挽(こびき)町に生まれる。幼名六次郎、又は、 侵平、字は士広(しこう)、号は初め江陰、後に磐渓、諱(いみな)は清崇(きよたか)。

幼にして慧敏(けいびん)、昌平黌に学びまた長崎に赴き蘭学を修業す。帰藩後西洋砲術や儒学に専念した。開国論者にして親露排米説を唱えた。明治元年奥羽諸藩挙兵の際軍国文書司となり、新政府に捕らえられ終身禁錮に処せられたが明治四年四月釈放され五月上京し本郷に隠棲、明治十一年六月没す。年七十八。従五位を贈られる。

語釈

*春日山・・・新潟県中頸城(なかくびき)郡春日村の上杉謙信(うえすぎけんしん)の居城のあったところ。
*晩霞・・・・夕方に立つかすみ・夕焼け
*鰡・・・・・くりげの駿馬(しゅんめ) 華鰡(かりゅう)も同じ
*能州月・・・越山併得能州景をさす

通釈

時代の英雄の、天下統一という壮大(そうだい)なくわだても、はかなく一場(いちじょう)の 夢となった。今、春日山の城址は空しく夕もやにとざされてしまった。当時、戦場を駆け回っていた名馬のいななく 声もなく、今はただ唖唖(ああ)と鳴く鴉の声を聞くのみである。あたら、謙信ほどの英雄にしても、北越の小天地にしか身のおきどころがなく、能州の月の名詩を賦したにとどまり、 さらには上洛して京都郊外の桜の花を吟詠することができなかったことは、かえすがえすも惜しむべきである。

備考

青年のとき昌平黌を辞して東海、畿内より九州長崎まで周遊した。この詩はその 途次(とじ)の作である。

範吟

範吟 鈴木精成