自訟(天 130)

吟譜(PDF)

作者:杉浦重剛

(一八五五~一九二四年)(安政二年~大正三年)明治・大正時代の教育者。幼名謙次郎。梅窓・天台道士と号した。父杉浦重文母八重の二男として近江(滋賀県)で生まれる。初め藩校遵義堂に入り、ついで経史を藩儒高橋坦堂・洋学を黒田麴盧に学び更に京都の儒者岩垣月洲に入る。十六歳の時選ばれて藩の貢進生として大学南校(現東京大学)に入り英学を学び二十二歳で英国に留学教授ロスコ-・ショーレマン両教授に従って化学を研究。在位五年病によって帰国、その後、大学予備門(第一高校の前身)の校長、文部参事官兼専門学務局次長を歴任、この間称好塾を設け、同志と共に東京英語学校を設立、また新聞記者の社説を担当、雑誌「日本及日本人」・「日本新聞」の発刊に尽力、欧化主義に反対し日本主義を唱えた。明治二十二年外相大隈重信の条約改正案を批判猛烈な反対運動を起こした。翌年滋賀県選出の代議士となるも一年で辞職した。四十三年国学院学監、大正三年東亜同文書院院長となり東宮御学問所良子女王殿下の御学問所に出仕、御用掛倫理科の御進講にあたった。大正十三年病により東京淀橋の自邸で没した。享年七十歳。

通釈

山岳に登って天下を小とする、そんな偉丈夫の気概は誇らしい。しかし山上に更に山があるのはどうしたことだろう、これを仰げば一層高く聳(そび)えているのだ。

詩文説明

山に登って下界を見下ろすとと天下も小さいものだと思われ、自ら意気の豪なることを誇るのである。しかし、今登りつめた山の頂上でも、まだまだ高い山がある。これはどうしたらよいであろうか。自分の登った山はかなり高いと思うのだが、山上を見渡すと更にいっそう高い山が聳えている。人間もこれと同じで、いくら登っても自分よりいっそう上の人間がいますこれを仰いでもっと上を目指し、決して慢心などすべきではない。