平の敦盛(天 168)

吟譜(PDF)

作者:網谷一才

(一八九二~一九六五年)明治25年~昭和40年)神戸市出身、大阪日刊豆新聞主筆、生涯を青年指導と婦人生活の合理化運動に捧げ、作詞・琵琶歌詞を始め作歌報国に邁進活躍した七十三歳没

通釈

平 敦盛(たいら の あつもり)は、平安時代末期の武将。平清盛の弟・経盛の末子。位階は従五位下。官職にはついておらず、無官大夫と称された笛の名手であり、祖父・平忠盛が鳥羽院より賜った『小枝』(または『青葉』という笛を譲り受ける。
平家一門として十七歳で一ノ谷の戦いに参加。源氏側の奇襲を受け、平家側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。敦盛が取って返すと、直実(なおざね)は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子・直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇(ちゅうちょ)する。直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った。この事から、直実の出家の志が一段と強くなったという発心譚が語られる。「延慶本」や「鎌倉本」の『平家物語』では、直実が敦盛の笛(または篳篥)を屋島にいる敦盛の父・平経盛の元に送り、直実の書状と経盛の返状が交わされる場面が描かれている。