壇ノ浦を過ぐ(天 169)

吟譜(PDF)

作者:村上佛山

(一八一〇~一八七〇年)(文化七年~明治十二年)幕末~明治初期の漢詩人。豊前・京都(みやこ)郡の人。名は剛。字は大有。通称は喜左衛門。亀井昭陽、貫名海屋に師事し、郷里で塾を開く。七十歳没

語釈

*壇の浦・・・山口県下関市の東端
*魚莊・・・・漁夫の家
*蟹舍・・・・魚莊と同じ
*蓑笠・・・・みのと笠 ここではそれをつけた人のこと
*帝魂・・・・安徳天皇の御霊(みたま)
*御裳川・・・壇の浦に注ぐ小川の名

通釈

見渡せば、猟師の小屋が点々と、折からの春雨にかすんでいる。みのと笠をつけた私は、ひとり壇の浦の辺を通った。幼い安徳天皇が御入水されてから千年、いくらお呼びしても御霊はお帰りにならない。御裳川を吹く春風に哀れをかんじて、腸を断つ思いであった。

参考

《安徳天皇》高倉天皇の譲位を受けて即位したが、木曽義仲が入京したため平宗盛とともに都落ちする。壇ノ浦の戦いで祖母の平時子(二位尼)に抱かれて入水した。わずか8歳であった。二位尼は「水の底にも都はありましょう」と、慰めたという。父は高倉天皇で、母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)、祖父は、平清盛。母の建礼門院も入水するが、熊手に髪をかけられ引き上げられている。

範吟

範吟 鈴木精成

範吟 磯田精信

 

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