中秋無月母に侍す(天 174)

吟譜(PDF)

作者:賴 山陽

(一七八〇~一八三二年)、名は襄(のぼる)、字(あざな)は子成、号は山陽。安永九年十二月大坂江戸堀に生まれた。父春水は安芸藩の儒者。七歳にして叔父杏平について書を読み、十八歳で江戸に遊学した。二十一歳京都に走り脱藩の罪により幽閉される。後、各地を遊歴し天保三年九月病のために没す。年五十三歳。著書に「日本外史」 「日本政記」「日本楽府(がふ)」等がある。

語釈

*中秋無月侍母・・・月見の晩、母に侍して月見をしたが 生憎(あいにく)月がでなかった。
*重得・・・・・・・ふたたび何何することができた。
*一巵・・・・・・・一つのさかずき。
*尊前・・・・・・・さかだるのまえ(母のまえ)
*鬢邊・・・・・・・びんのあたり

通釈

母と共に、中秋の月見をしなくなって、もう十三年もたってしまった。今宵(こよい)は涼しい 秋風のもと、重(かさ)ねて母を迎えて、一杯の酒を差し上げることができた。残念なことに、天気が悪く月を見ることはできないが、そのために、自分の鬢(びん)のあたりの白髪(はくはつ)を、 みられることもなかったのが、せめてものすくいであった。
(親に心配させまいとする山陽のまごころが溢(あふ)れている。)