中秋月を賞す(天 178)

吟譜(PDF)

作者:西郷隆盛

(一八二八~一八七七年)(安政十年~明治十年)。幕末~明治初めの薩摩藩士、軍人、政治家。下級武士の出身だが藩主島津斉彬によって抜擢された。斉彬の死後は失脚と復活を繰り返しながら頭角をあらわし、薩摩藩を代表する実力者として活躍、薩長同盟を締結して戊辰戦争を主導した。江戸城総攻撃では勝海舟との話し合いにより無血開城を実現した。維新後は陸軍大将などを歴任したが、征韓論をめぐって大久保利通らと対立、明治六(一八七三)年九月、官職を辞して下野し鹿児島へ帰った。その後、明治新政府の政策に鹿児島県士族の不満が高まり、明治十(一八七七)年、彼らの暴発をきっかけに西南戦争の指導者となるが、政府軍に敗れて自刃した。号は南洲。維新三傑の一人と評される。

語釈

*中秋・・・・秋の中ごろ。特に秋の真ん中、陰暦八月十五日。いわゆる「中秋の名月」の日であり、家族で月見をする日。
*鴨水・・・・京都の鴨川。
*涯・・・・・水のほとり。
*萍水客・・・浮草が水に漂うようにさすらう旅人。
*光華・・・・月の光

通釈

中秋のこの日、月の光のもと、鴨川べりを歩いていく、思えば、この十年あまり、月見のときに故郷の家にいたことがない。
自分で笑うしかないが、東へ西へと浮草のようにさすらう私は、来年にはいったいどこで月の光をめでることになるのだろうか

備考

慶應元年(一八六五年)の作。この年、西郷は一月に結婚、三月には上洛して朝廷工作、五月初めに坂本龍馬をつれて帰薩、閏五月には薩長和解のため桂小五郎と会談すべく下関へ向かいましたが、京都の情勢が緊迫したため下関寄港を中止して急遽上洛。その後、十月まで京都で朝廷工作と坂本龍馬を介した長州との交渉などに奔走。十月初めにはいったん帰薩するものの十月十五日には再び上洛し、薩長同盟締結に向けた交渉を本格化させ、翌慶應二(一八六六)年一1月には薩長同盟が締結されます。この詩が作られたのはまさに幕末維新の最大のターニングポイントを目前にした時期であり、西郷自身がその歴史の渦のど真ん中にいたため、故郷の家でのんびり月見など考えられない状況でした。だからこそ異郷の地で中秋の名月を眺めて感慨を深めたのでしょう。「水」字の重出が不注意ですが、全体としては見事な作りの詩です。

範吟

範吟 鈴木精成