作者:菅原道真
(八四五~九〇三年)平安初期の政治家・学者・漢詩人・歌人。
学者の家系に育ったこともあって教養・人格ともに優れ、若くして政府の要職を経て五十五歳で右大臣についた。しかし異例の出世で藤原一族からねたまれ、それがもとで九州太宰府に流され、その地で亡くなった。五十九歳。死後、罪を許され、正二位まで復権した。
世の人々はその高潔さを敬い、京都の「北野天満宮」をはじめ全国に天神様の名で社を設け、学問の神様として今なお慕い続けている。
語釈
*九月十日・・・延喜元年(九〇一年)の九月十日。
*去年今夜・・・昌泰3年(九〇〇年)の九月十日。
*清涼・・・・・清涼殿 天皇が日常生活を送られる場所。
*秋思詩篇・・・「秋思」の御題(ぎょだい) 「秋思詩」を指す。
*断腸・・・・・胸も張り裂けんばかりの悲しい思い
*恩賜・・・・・天皇からいただいた。
*余香・・・・・御衣に焚きこめた香(こう)の移り香
通釈
去年の今夜、私は重陽(ちょうよう)の菊の節句の宴(うたげ)に招かれ、清涼殿で醍醐天皇のそば近くにお仕えしていた。その夜、帝(みかど)から戴いたお題「秋思」に対する私の一編は、昔と今のあまりにも大きな変化に堪えられず、悲しい思いをこめて詠んだものであった。それにもかかわらずお褒めを戴き、その時に賜わった御衣が手もとに今こうして置かれている。私は、それを毎日おし戴いては、残り香を懐かしんでいる。
鑑賞
醍醐天皇に対する この詩は、延喜元年(901)9月10日の夜、道真が九州太宰府(今の福岡県太宰府市)に流された時の作です。前年の菊花の宴に招かれて「秋思詩」を作り、今は藤原一族からねたまれて冤罪(えんざい=罪なきつみ)を蒙り、都を遠く離れていても帝の厚い恩徳に感動しているのです。
範吟
範吟 横山精真
素読・範吟 鈴木精成
伴奏
伴奏(2本)
伴奏(6本)