阿倍野(天 5)

吟譜(PDF)

作者:廣瀬旭莊

(一八〇七~一八六三年)名は謙、字は吉甫(きちほ)、通称謙吉、旭莊は号。淡窓の末弟。兄淡窓と亀井昭陽に学ぶ。

のち大阪 に住み、兄淡窓と共に詩名東西に鳴る。才気横溢(おういつ)、長篇大作を遺(のこ)す。

勤王の志厚く諸侯の招聘(しょうへい)を断り摂津池田に退隠、一八六三年(文久3年)八月没す。年五十六歳。

語釈

*千古・・・・・遠い昔 とこしえ 永遠
*虎鬪龍爭・・・龍虎の闘争 敵味方戦うこと
*南朝・・・・・吉野朝ともいう。後醍醐天皇延元元年神器を奉じて吉野に遷幸(せんこう)せられ、爾来後村上 長慶 後亀山の三帝まで吉野賀名生(あのう)に行在所(あんざいしょ)があり 元中(げんちゅう)九年(一三九二年)北朝の後小松天皇に攘夷されるまでの五七年間をいう。

通釈

史上の盛衰興亡は、とこしえに英雄をかなしませるものである。かつて、龍虎相戦った戦跡も 今は空しく一場の夢に帰した。それを知る手だてもない。私はここ阿部野に南朝の忠臣北畠顯家卿(きたばたけあいきえこう)の墓を訪ねてきた のであるが、秋風に野田(やでん)の蕎花が吹き仆されたあたりの光景には、一段と寂寥の感を催したのであった。