雨後登楼(天 16)

吟譜(PDF)

作者:釈絶海

八〇三年~八五二年 晩唐の詩人。字は牧之(ぼくし)、号は樊川(はんせん)、京兆万年(けいちょうばんねん=陝西省長安県)の人。名家の出身に して八二八年進士に及第後、地方、中央の官を歴任し中書舎人(ちゅうしょしゃじん)となって没す。

資性剛直、容姿美しく歌舞を好み、青楼に浮名を 流したこともあった。「樊川文集」20巻、「樊川詩集」7巻あり、「阿房宮賦」(あぼうきゅうふ)は早年の作にして文名を高めた。年五十歳。

語釈

*過雨(かう)・・・・・・通り雨
*新秋・・・・・・・・・・秋の初め
*仲宣(ちゅうせん)・・・王 粲(おう さん)、(一七七~二一七年)、字は仲宣、建安7才人の一人
*疎樹・・・・・・・・・・葉が落ちて枝ばかりとなった木々

通釈

にわか雨が通り過ぎ、初秋の気配がすがすがしく感じられる。友人と連れ立って川辺の高楼に登る。その昔、仲宣が長年の恨みを洗い流して忘れたいと楼に登ったそうだが、今見ると、とぎれとぎれのもやや落葉した木々が見えるだけの風景、心が晴れるどころか、ますます心が沈み、耐えることができない。

【備考】

その昔、中国の仲宣という人も王の怒りをうけ今の自分と同じ思いをしていたという。しかし、とぎれとぎれのもやの間から、葉の落ちてしまった木々しか見渡すことのできないこの侘しい風景を見ていると心が晴れるどころか、ますます心が沈み、耐えることができなかった。

釈 絶海さんは殿様に叱られ、気分を晴らそうとして友人を連れて、高台に上ったのですが、侘しい風景を見て、憂さが晴れるどころか暗い気持ちになってしまったという気持ちを詩にしたのでした。