河内路上(天 33)

吟譜(PDF)

作者:菊池 溪琴

(きくち けいきん)(一七九九~一八八一年)名は保定(やすさだ)。字は士固(しこ)、孫助(まごすけ)と称し、 溪琴はその号。後その号を海荘(かいそう)と改める。紀州(和歌山県)有田郡(ありたぐん) 栖原村(すはらむら)の人。

大窪詩仏(おおくぼしぶつ)に学び、詩を好くし、佐藤一斎(さとういっさい)、 賴 山陽(らいさんよう)、広瀬旭荘(ひろせきょくそう)、安積艮斉(あさかごんさい)、 梁川星巖(やながわせいがん)、藤田東湖(ふじたとうこ)、佐久間象山(さくましょうざん) など一流の士と親交があった。

名節を尊び、武芸を好み海防の急務を建言した。 明治14年東京で没す。年八十三。著書に「秀餐楼集」「溪琴山房集」「海荘集」等がある

語釈

*河内路上・・・河内(大阪)の金剛山の麓に楠正成の遺跡を訪ね、往時を追懐したので、このように題した
*寒霏・・・・・つめたいもや
*六百春秋・・・六百年の歳月・「春秋」は歳月の意
*一夢非・・・・一場の夢と化して、すべてが昔と変わってしまったの意。

通釈

遠く南朝の頃からの古木はつめたいもやにとざされ、六百年の歳月を隔てて、楠公の事跡も一場の夢と化して、今はすべてが昔と全く変わってしまった。そこで何回となく天に向って昔の事をたずねてみたが、天は一向に答えてくれない。ただ金剛山の麓に、昔と同じように、夕暮れの雲が 帰っていくのが見えるばかりである。