凱旋(天 36)

吟譜(PDF)

作者:乃木希典

(一八四九~一九一二年)(嘉永二年~大正元年)軍人。長州藩出身。藩校明倫館に学び、戊辰戦争に参加、西南の役に従軍。

明治十九年、渡独して軍制・戦術を研究し、帰国後陸軍の改革に着手。一時退役して半農生活を行うが、日清戦争に従軍。台湾総督を経て、日露戦争に第三軍司令官として、旅順を攻略、苦闘の末に陥落させ、戦勝に導いた。後、参議官、学習院院長を歴任。明治天皇大葬の日、静子夫人とともに殉死。

語釈

*凱旋・・・戦勝して勝ち鬨(どき)をあげて帰る。戦勝して帰ってきて音楽を奏する。
*皇師・・・天皇がひきいる軍隊。皇軍。
*征・・・・伐(う)つ。討ちに行く。
*強虜・・・強い敵のやつら。
*攻城・・・城や城郭都市を攻めること。
*作山・・・山のように堆(うずたか)くなる。
*父老・・・村の主立った年寄り。
*凱歌・・・勝利を祝う歌。
*幾人・・・不明、不定の人数。何人。

通釈

我が百万の皇軍は、驕る敵を懲らしめるべく出征した。しかし戦は苦戦をしいられ、戦死者の屍が累々と山をなすこととなってしまった。かくも多くの戦死者を出してしまった愧ずべき我が身では、どうして遺族に顔を合わせることができようか。今日凱旋の歌声をあげて故郷に帰る兵士は、百万のうちいったい幾人あるであろうか。

備考

日露戦争に第三軍司令官として満州に出征し、旅順攻略にわが子を初め沢山の部下を死なせ、 凱旋する時に心の底から心腸寸断の思いで作られた詩である。この詩は明治三十八年十二月二十九日凱旋の途につくその 前に作られたもので、真筆に「乙巳於満州法庫門」(乙巳は、きのとみ)と書したものがあり、金州城、爾霊山と共に、 将軍三絶の一といわれている。