興を遣るの吟(天 53)

吟譜(PDF)

作者:伊達政宗

(一五六七~一六三六年)(永禄十年~寛永十三年)・安土桃山時代~江戸初期の武将。仙台藩主。徳川方に属し、仙台六十二万石の基礎を築く。

語釈

*馬上・・・戦いのなかで。戦闘場裏に。
*残躯・・・のこりの身体。老後のわずかばかりの身命。
*白髪・・・しらが。白髪頭の老人

通釈

戦場を駆け抜けた青年時代、太平の今では白髪がみえるようになった。生きながらえているのも天命なのだ、
あるがままを楽しまないで何としよう。

備考

戦国時代の終わりに遅れて生まれて、奥州(今の岩手、宮城、福島辺り)を席捲した戦国武将、「独眼龍」こと、伊達政宗の残した漢詩です。この政宗という人物、政治家、軍人としてだけでなく、文化人としても一流のものがあったようです。この漢詩からもその一端が伺えるような気がします。

政宗は、なだたる戦国大名の中でも、遅れて生まれてきた人で、彼がその勢力を拡大して、天下へ名乗りを上げようとした頃には既に豊臣秀吉が、次いで徳川家康が統一を成し遂げようとしていた時代であり、結局政宗は、その統一政権下の一大名の地位に甘んじるしか無かったのです。しかし、晩年まで彼の志は常に天下を狙う事にあった・・・と言うのはよく、時代小説などで語られる所ですが、実際に彼にはそれだけの器量があったようです。その為に豊臣政権下でも、徳川政権下でも、重用されつつも、常に警戒されていたのです。

そして、彼の生涯は徳川幕府が安定を見せた頃に終わります。天下泰平の世となり、その中で若い頃を戦場の中で過ごした老人が一人、花に向かって酒を飲みながらこんな詩を吟じる・・・そんな風景が目に浮かびます。若い頃をほとんど戦場で過ごした私は、今の泰平を楽しみきることが出来ない・・・結局、私は乱世の人間でしかないのだなぁ・・・そんな嘆きともぼやきともつかない感慨が、この詩には込められているような気がしてなりません。

範吟

範吟 鈴木精成