元二の安西に使いするを送る(天 75)

吟譜(PDF)

作者:王 維

 (七〇一?~七六一?年)盛唐の政治家・詩人・山西省太原(さんせいしょうたいげん)の人。二十二歳で進士に及第し、地方役人から順調に出世して中央役人となる。安禄山の乱で心ならずも反皇帝側に立ったため、乱平定の後、捕らえられるが、弟の奔走や詩才の巧みさが認められ、下級ながら役職にありつけた。

その後再び出世し、尚書右丞(しょうしょうじょう=内閣官房室官)まで上り詰めた。晩年はこれまでの役人生活に疑問を抱き、長安の南の川(もうせん)に別荘を構え隠棲し、詩・書・画・音楽に専念する生活を送った。仏教を信じた生きざまにより、後世の人から「詩仏」と称えられた。

語釈

*元二・・・王維の友人で元という姓の人 「二」は一族のうちで上から二番目の男子であることを表す。
*安西・・・今の新疆ウイグル自治区クチャ県 唐時代にはそこに都護府(とごふ=軍隊を用いて辺地を警備監督する役所)を置き西域の守護に当たらせた。
*渭城・・・長安の西北で渭水の北側にある町 当時西方に旅立つ人をここまで見送る習慣があった。
*柳色・・・柳の枝の色 別れの際には柳の枝を輪にして持たせる習慣がありその柳を想定している。
*陽関・・・中国と西域を区切る関所 砂漠地帯にあり玉門関と並んで有名
*故人・・・中国では親しい友人

通釈

渭城の朝の雨は軽い土ぼこりをしっとりと濡らし、旅館の前の柳は雨に洗われて青々として、ひときわ鮮やかである。君はこれから遠く安西に使いするために旅立つのであるがさあ、もう一杯飲みほしたまえ。西の方(かた)陽関を出てしまったら、もう君に酒を勧めてくれる友人もいないであろうから。

解説

中国では別れに際して、柳の枝を手折ってはなむけにする習わしが古くから有ます。 柳(りゅう)→ 留(りゅう)の音通によって、引き留めるの意を表します。また、枝を環にするところから、環(かん)→ 環(かん)の音通によって、早くお帰りの意を表しています。

範吟

範吟 鈴木精成