弘道館に梅花を賞す(天 81)

吟譜(PDF)

作者:徳川齋昭

(とくがわなりあき)(一八〇〇~一八六〇)幕末の大名。江戸に生まれた。景山(けいざん)、潜龍閣(せんりゅうかく)と号した。文政十二年(一八二九)兄の 水戸藩主斉脩(なりのぶ)の死に伴い、藤田東湖(ふじたとうこ)ら藩政改革派の推戴(すいたい)により藩主となった。従来の 兵法に西洋式軍備、軍事学を導入。藩校弘道館を設立し、社寺の整理にもあたるが、のち門閥派と対立、弘化元年(一八四四) 幕命により隠居を命ぜられた。万延元年六十一歳にて没す。

語釈

*弘道館・・・水戸の藩校・文武二館に分かれ城内の三の丸に在った 今はその辺りは公園になっている。
*馥郁・・・・香気盛んなさま
*好文・・・・梅の異名で好文木という
*威武・・・・勢いのたけだけしく強いこと
*魁・・・・・他に先んじること

通釈

弘道館の中には千本もあろうかと思われる梅の木があり、今満開に咲きほこり清香を漂わせている。 昔、晋の武帝が学問を好むと梅の花が咲き、学問をやめると咲かなくなった故事から梅を好文木と称するようになったというが、 梅に武の威力がないといえようか、寒中の雪を冒して咲き、春の魁をなすのはこの花の他にはあるまい。