至善(天 116)

吟譜(PDF)

作者:西行

元永元年(一一一八年)~文治六年(一一九〇年)平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。
俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。

語釈

◎人間の道を説いた教訓詩、難解な詩である。
晴れていても雨が降っていてもそんなこと関係なしに睡蓮は咲く、山に住んでいるわけでもなく、林の中に住んでいるのでもなく、わたしは在家の仙人、一日一日いつまでも興味が尽きることがない、老いてからの楽しみは至善(もっとも善いこと)を実行することにあるのだ

通釈

池の睡蓮は天候に関係なく時期がくれば咲いている。
自分は山中に住む仙人でもなく、林の中に庵を構えている僧でもなく、田舎の家に住みながら不老不死の術を心得ている仙人のようである。(明日白骨になるかもしれないわが身は生老病死の四苦から絶対に逃れることはできず、怨みや憎みに会う苦、愛する人と別離する苦、求めることが得られない苦、要するに生きている間中苦から逃れることはできず、逃れようとして求める一時的快楽も結局は苦を作る身である。)そのように達観すれば、一日が一生のように、今この時生きている自分の日々は、面白おかしいことばかりである。従って、老人の楽しみは、唯一つ、自分が最も善いと信じることを行うことであり、自分はその楽しみの中にあるのである