絶句(天 158)

吟譜(PDF)

作者:杜甫

(七一二~七七〇年)盛唐の詩人。李白とともに唐代最高の詩人。初唐の詩人・杜審言の孫で、洛陽に近い河南省鞏県の生れ、湖北省襄陽県の人。若い頃は諸国を遊歴し、李白・高適と交わり詩を賦したりしている。長安に出て科挙を受験したが及第せず困窮の生活を送った。安禄山の反乱軍に捕えられ長安に軟禁されて、「春望」を詠じたのが七五七年四十六歳の時である。翌々年(七五九)蜀道の険を越えて成都に到り浣花渓のほとりに草堂を建てて住んだ。この時期が、杜甫の一生のうちで比較的平穏であり、竹木を植え酒を飲み詩を詠い、農民たちと往来した。蜀の地が乱れたため、また貧と病に苦しみながら各地を流浪し不遇のうちに生涯を終えた

語釈

*絶句・・・詩形を詩題としたもの、日本の「無題」に当たる。
*江・・・・ここでは成都を流れる錦江。長江支流の錦江の更に支流が浣花渓。
*碧・・・・濃い緑。
*逾・・・・いよいよ、ますます。
*欲然・・・「然」は「燃」、「欲」は「将」と同じ。
*看・・・・みるみるうちに。
*帰年・・・故郷に帰ることのできる日。

通釈

錦江の水は深い緑色に澄み、そこに遊ぶ水鳥はますます白くみえる。山々は新緑に映え、花は燃え出さんばかりに真赤である。今年の春もみるみるうちに過ぎ去ってしまおうとしている。いったい何時になったら故郷に帰れるときがくるのであろうか。

解説

この詩は、杜甫が四川省成都の浣花渓のほとりにある草堂で生活していたとき五十三歳の春に、去りゆく春を惜しみ、故郷に帰りたい思いを詠じたもの。この詩を作ったころの杜甫は、戦乱のため都を離れて十年近くたっている。遠い山国の蜀の地で、いつ帰れるあてもないやり切れなさを詠ったものである。この当時の杜甫は、友人の庇護で比較的落ち着いた生活をしていたが、故郷恋しやの思いは募るばかり。やがて家族をひきつれ小舟に身を託して、再び放浪の旅に出る。しかし、ついにその思いをとげることなく死んだ。杜甫が故郷と意識するのは、都長安もしくは若き日を過ごした洛陽であった。

範吟

範吟 横山精真