楠公子に訣るるの図に題す(天 191)

吟譜(PDF)

作者:頼 山陽

(一七八〇~一八三二年)江戸後期の学者・漢詩人。 広島県竹原市の人で、安芸藩儒者春水の長男として生まれた。少年時代から詩文を得意とし周囲を驚かせた。十八歳で江戸の昌平黌学問所で学んだ。ただ素行に常軌を逸脱することが多く、最初の結婚は長く続かず家族を悩ませた。二十一歳で京都に走ったため、脱藩の罪で四年間自邸に幽閉された。しかしこの間読書にふけり、のちの「日本外史」の案がなったといわれる。三十二歳ごろから京都に定住し、「山紫水明処」という塾を開き子弟の育成と学問に励んだ。子供に安政の大獄で処刑された三樹三郎がいる。享年五十三歳。

通釈

詩文説明

題名の「楠公子に訣るるの図に題す」は、頼山陽が、楠木正成が湊川の決戦に赴くとき摂津櫻井で正行との別れの絵図を見て作成したという事で「図に題す」。「漢詩には図に題す」と付いた題名は沢山あります。兵庫湊川神社の境内に掲げてあった図です。説明もそのまま載せます。兵庫・湊川一帯の戦場には、殺気を含んだ風がすさまじく吹き荒れ、草木までが血に染まってなまぐさい。この地で戦死を遂げた正成公に対しては歴史の書物が特別に重く扱っており、その名ははるか後々の世までも芳しくかおっているのである。まことに公の身中に満ちあふれる熱血は、おのれひとりのみならず、その余りの滴りを残して子孫に分け与え、子孫をして他日賊軍と戦って壮烈な死を遂げさせたのであって、その忠誠の情は深く人を感動せしめる。

範吟

範吟 鈴木精成

範吟 磯田精信

 

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