爾霊山(天 192)

吟譜(PDF)

作者:乃木 希典

(一八四九~一九一二年)明治時代の陸軍軍人。長州藩(山口県)江戸屋敷に生まれる。文を吉田松陰の叔父玉木文之進、 剣を栗栖(くりす)又助に学び、また詩歌にも秀れ石林子(せきりんし)、石樵(せきしょう)と号した。 歩兵第十四連隊長心得として西南戦争に出征し、連隊旗を西郷軍に奪われる屈辱を嘗(な)めたが、日清戦争では第一旅団長 として旅順を占領した。日露戦争では、第三軍司令官に任命された。明治三十七年大将。明治天皇の大葬当日静子夫人と 共に殉死した。年六十四歳。

語釈

*爾霊山・・・旅順の二〇三高地のことで 乃木将軍によって 爾霊山の名を得た
*克艱・・・・艱難に打ちかつ
*鐵血・・・・兵器と人の血

通釈

二〇三高地が如何に嶮(けわ)しくとも、攀じ登れぬ筈はない。男子たるもの功名を立てるためには如何なる困難にも 打ち克つという覚悟が肝要である。その決意のもとに激戦、遂に武器と人の血で山全体を覆うて山の形さえ変わってしまった。この激戦によって遂に旅順も 陥落するに至ったのである。この大功と共に多くの人命を失った。嗚呼(ああ)爾の霊の山である、と万人が斉しく仰ぎ 英霊を慰めるであろう。

備考

日露の戦役我が軍の攻撃七十余日、彼我(ひが)の死傷各(おのおの)万を超える。 古来未曾有(みぞう)の惨烈を極める。現在は山の高さ二〇〇メートル、往時の激戦にて三メートルひくくなったといわれる。 山の頂上には英魂を弔う希典(まれすけ)書の碑がある。

範吟

範吟 鈴木精成