乃木将軍を挽す(天 194)

吟譜(PDF)

作者:杉浦重剛

(一八五五~一九二四年)・明治・大正時代の教育家。近江膳所藩の儒者・杉浦重文の次男として生まれ、十六歳のとき藩の貢進生として大学南校(東京大学の前身)に入り英学を修め、二十二歳で英国に留学、化学を研究したが、在英五年ののち病で帰国。その後大学予備門の校長、文部省参事官などを歴任。この間東京英語学校を創立、また新聞記者となり、雑誌「日本人」の発刊に尽力し、欧化主義に反対して日本主義を唱えた。 外相大隈重信の条約改正案を批判して反対運動を起こした。滋賀県選出の代議士となったが一年で辞し、国学院大学・東宮御学問所などに勤めたが、大正十三年七十歳で病没。人格高潔・識見卓抜、偉大な教育家であり、一世の師表として仰がれた。

語釈

*挽・・・・・・・死を悼んで詩歌を作ること。元は葬儀の棺を乗せた車を曳く時に歌ったうた。輓歌。
*赤城熱血・・・・切腹した赤穂四十七士の忠烈をいう。
*余瀝・・・・・・後に残したしずく。今も残る影響。将軍の体内に忠義の精神を残し、将軍は君の為に切腹している。もとは杯の酒などの余ったしずくを云い、転じて人の恩恵に例える。
*松下遺風・・・・松下村塾の吉田松陰の影響。
*伝不言・・・・・教えなくても自然に伝わる。
*心事・・・・・・心に思う事柄。心中の考え。
*明明還白白・・・きわめて明白で、純粋ではっきりしている「白」もあきらか。
*神州・・・・・・神国。わが国の美称。
*正気・・・・・・万物の根源である純粋な気。粋な気。

通釈

乃木将軍は赤穂浪士割腹の屋敷に生まれ、その影響を受けて育った。青年期には、伯父・玉木文之進から松下村塾の教えを受け、その感化により勤皇の志が厚かった。明治天皇に殉じて自殺を遂げたがその心中は誠に明明白白で、至誠純忠以外の何物でもないのである。わが神国日本に存在する正気の尊厳が、将軍の殉死によってはっきりと世に示されたのである。

解説

この詩は作者が純忠無比の武人として敬重していた乃木将軍が、大正元年9月13日、明治天皇御大葬の夜、これに殉じて自刃したのを痛惜して作ったものである。