亡友月照十七回忌辰の作(天 223)

吟譜(PDF)

作者:西郷隆盛

(一八二七~一八七七年)(文政一〇年~明治一〇年)明治維新の元勲。政治家。号して南洲。通称は吉之助。薩摩の人。討幕の指導者として薩長同盟を結び、戊辰戦争を遂行し、維新の三傑の一人と称された。新政府の参議・陸軍大将となったが、西南戦争を起こし、城山で自刃した。

語釈

*亡友・・・死んだ友人。なき友。
*月照・・・幕末の尊攘派の僧。
*辰・・・・時(とき)。
*豈図・・・全く思いがけないことが起こったを表す。意外にも。
*再生・・・錦江湾に入水したが、隆盛は助かったことを謂う。
*回頭・・・ふりむく。頭をめぐらす。

通釈

◎なき友である月照の十七回忌の時の作。 *共に入水自殺を謀ったものの、自分一人生きながらえたことについての心境を詠った詩。

約束しあってふちに身を投じたのは、先に(死ぬ)・後になって(死ぬ)ということではなかったが。(わたし=西郷隆盛は)全く思いもかけずに、波の上で生き返ったことによる。(爾来)十餘年の人生をふり返れば。むなしく冥土と現世とにわかれて、(わたしは月照の)墓前で(月照を悼んで)声をあげて泣いた。

備考

◎月照:幕末の尊攘派の僧。文化十年(1813年)~安政五年(1858年)京都清水寺成就院の住職。大坂町医の玉井鼎斎宗江の子。ペリー来航後の国情に、住職を弟信海に譲り、国事に奔走。梅田雲浜・頼三樹三郎と結んで活躍。安政の大獄の危険を逃れ、西郷隆盛と京都を脱出、後に、平野国臣に伴われて薩摩に行ったが、藩に入れられず、十一月十五日、西郷隆盛とともに錦江湾に入水。隆盛は助けられ、月照は死亡。この間の薩摩藩当局は、幕府側の追及を恐れ、月照らを日向国へ追放し、途上で切り捨てることに決定していた。こういう状況の下で、二人は入水を決意し実行したものの、西郷隆盛は救助されて蘇生し、月照は死亡た。藩当局は二人を死んだものとして扱い、二人の墓も作られ、糾明する幕府側に対処した。二人の入水から一人だけ生き残った西郷隆盛、彼の置かれた複雑な心境をこの詩で詠いあげた。

 

範吟

範吟 鈴木精成