絵の島(続天 20)

吟譜(PDF)

作者:菅 茶山

(菅 晋帥(しんすい))(一七四八~一八二七年)字は礼卿、通称太仲、茶山は号。江戸後期の儒者・漢詩人。菅波氏、つめて菅という。備後神辺(広島県深安郡神辺町福山)の人。父は扶好、通称は樗平農商業を業とした。茶山は寛延元年に生まれた。京都に出て那波魯堂に朱子学を学び、その後郷里に帰り、教育に専念した。家の東北に面する黄葉山の名から塾名を黄葉夕陽村塾と名付ける、また近くに茶臼山があったので自ら茶山と号した。昌平黌の三博士(柴野栗山・尾藤二洲・古賀精里)をはじめ、大阪の中井竹山、安芸の頼春水・杏坪兄弟らとも親しく交わった。詩名最も高く高く東に寛斎あり西に茶山ありといわれた。文化元年扈従して江戸に赴き、帰って後命ぜられて『福山志』を編し、その後三たび棒を加えられて三十口となり、文政六年(一八二三)には大目付に進み、同十年八十歳の長寿を祝したが、隔膜を患い八月十三日没す。その私塾は大いに栄え、頼山陽は一時その塾頭であった。

語釈

瀬戸内海の島々は列をなして並んでいる、その佳き眺めは関東の人々に誇れるものだ。だが、たった一つ、この地、江の島に及ばないのは、富士山が海の向こうに、すそ野までくっきりと素晴らしい姿を見せている景色である。