奥羽道中(続天 24)

吟譜(PDF)

作者:榎本武揚(釜次郎)

(一八三六~一九〇八年)(天保七年~明治四十一年)幕臣円兵衛の二男として江戸に生まれる。弘化四年昌平坂学問所に通い江川太郎左衛門に学びそこで中浜万次郎に西洋の知識を得る。二十歳で幕府の海軍伝習所に入り、航海術を習得する。同五年江戸築地の海軍操練所の御軍艦操練教授に採用される。文久二年二十七歳、オランダ留学生に選ばれて渡欧、洋学の習得に努める。慶応三年、オランダに発注した開陽丸(軍監)を廻送して帰国する。

明治元年(一八六八年)海軍副総裁に就任、江戸開城に際し、官軍への軍艦譲渡を拒否し、幕府艦隊を率いて逃亡。函館に蝦夷共和国政府をつくる。同二年新政府軍の攻撃を支えきれず、この間土方歳三は戦死、新政府参謀黒田清隆の勧告により降伏、五稜郭開城となり捕らえられて入獄。同五年赦免され、のち明治政府に出仕、開拓使に属する。同七年海軍中将に任ぜられ特命全権公使露国公使館在勤を命じられる。同八年千島・樺太交換条約を締結する。同十一年にロシアより帰国。同十八年外務大輔、議定官、海軍卿、駐清特命全権公使などを歴任、同二十年に子爵を授けられ、その後文部大臣、枢密院顧問官、外務大臣、農商務大臣を務め同年七十三歳で没した。

語釈

陣羽織の鮮血はまだ生々しく一敗地にまみれたが、あれは一寸のつまずきである。奥羽まで退き、松の木陰で涼を取りながら眺めた鳥海山は、雪を戴いてすがすがしく聳えたっている。

『明治元年官軍江戸入城により、幕軍は最後に一戦を函館で交えんと奥羽の道を退く時の作』