鹿児島客中の作(続天 30)

吟譜(PDF)

作者:亀井南溟

(一七四三~一八一四年)( 寛保三年~文化十一年)・現福岡市西区姪浜の医師の家に生まれる。名は魯、南溟は号。十四才の時から佐賀、下関、大阪に遊学。僧大潮元皓や医家永富独嘯庵に学び博多に帰った。朝鮮通信使一行が来た時、接待使の一人として参加、自作の漢詩を示したところ絶賛され評価を高めた。その後父と共に唐人町(中央区)に医院学塾を開業。三十六歳で儒医兼務として士分となる。後、藩校の学問所西甘棠館の初代館長となる。朱子学派藩校修猷館に対し荻生徂徠学派を教義とした。志賀島から「漢委奴国王」と刻まれた金印が出土し、これを検証、後漢の光武帝が奴国王に授与したものと断定し猶一層名声を高めた。寛政十年(一七九八)唐人町の火災で甘棠館をはじめ亀井家の全てが焼失、甘棠館は再建されず喪失。文化十一年又もや原因不明の出火により家と共に焼死。

享年七十二歳。

通釈

どこの家で奏でているのか、琴や笛の音が月光に照らされて明るい夜空に広がっていく。いま、夢から覚め、孤独の旅人である自分が、旅館の欄干に持たれて、この調べを聞いていると、旅愁を掻き立てられ。見渡せば、月は皎々と照り渡って、南方の大海は波もなく穏やかである。この百二の都城を持つ鹿児島に、秋空は高く澄んでいる。