角を聴いて帰るを思う(続天 40)

吟譜(PDF)

作者:顧 況

(七二五~八一四年?)中国・唐の詩人。蘇州(江蘇省)の出身。字は逋翁(ほおう)。号を華陽山人、また悲翁という。粛宗の至徳二戴(七五七年の進士。徳宗のときに秘書郎となり、権官の李泌に師事していたが、李泌が宰相となったとき、自分も昇進すると期待したが、かなり遅れて著作郎に転任したにとどまった。李泌の死後、弔いもせずに嘲笑的な詩を作ったため、饒州(江西省)司戸参軍に左遷され、やがて家族を引き連れて茅山(江蘇省句容県の東南)に籠もり、最後は消息不明となったので、仙人の術を得たと伝わる。

通釈

故郷の庭に秋の黄葉が青苔の上一面に散っている。夢から覚めれば城壁の夜明けの角笛が身にしみる。今夜の夢に人は現れずちぎれるほどだ。起き出して庭を歩めば、月明かりのなか影が一緒にゆれ動く。

鑑賞

詩題の「角」(かく)は軍中で用いる角笛のことで、「思帰」は望郷の念をいいます。宰相の李泌(りひつ)が没したとき、顧況は嘲笑的な詩を書いたため、饒州(江西省波陽県)の司戸参軍に左遷されました。詩はそのときの作品でしょう。起句は故郷のようすを夢にみたのです。
「暁角」は暁を告げる角笛のことで、城壁の上から響いて来ます。「人見えざるに」は語り合える人がいないと解せますが、ここでは思う人(故郷の妻など)と考えました。結句は月明かりに照らし出された自分の影といっしょにあてもなく歩きまわるのです。顧況はやがて職を辞し、家族を連れて茅山(江蘇省句容県の東南)に籠もりますが、最後は行方不明といいます。九十歳くらいで死んだとされています。