玉関にて長安の李主簿に寄す(続天 52)

吟譜(PDF)

作者:岑 參

(七一五年~七七〇年)盛唐の詩人。河南省南陽の出身。岑嘉州とも称する。詩人・高適と並び称される。七四四年の進士。長く節度使の幕僚として西域にあったが、安禄山の乱があった七五六年に粛宗がいた鳳翔にはせ参じて、杜甫らの推挙により右補闕となり、その十月には粛宗に従って長安に赴く。七五九年に虢州の刺史となり、七六二年に太子中充・殿中侍御史となり関西節度判官を兼ね、七六五年に嘉州の刺史となった。七六八年、官を辞して故郷に帰ろうとしたが途中で反乱軍に阻まれて成都にとどまり、その地で没する。

享年五十六歳。

語釈

*玉關・・・・玉門関。現・甘肅省西北部。
*長安・・・・唐の首都。玉門関から見れば、長安は東側に位置する。
*萬里餘・・・万里以上。はるばると。長安~玉門関の直線距離は1500キロメートルほど。
*故人・・・・古くからの友人。
*一行書・・・簡単な手紙。
*腸斷・・・・腸(はらわた)が断たれるほどの辛さ。
*況復・・・・(きやうふく)その上。それに加えて。

通釈

「玉門関から長安の李主簿に手紙を出す」

東にある長安を旅立って、万里以上も西へやって来たが。旧友(手紙の出す相手である李主簿)は、どうして簡単な手紙一本を書く手間を惜しむのか。玉門関から(これから進むべき)西の方を望むと、腸(はらわた)が断たれる辛さ(を覚えるがそれ)に堪えられようもないのに。ましてや、明日は大晦日で、この一年も終わり、親しい者が集う時になるのに。