隈川雑詠(その一)(続天 57)

吟譜(PDF)

作者:広瀬淡窓

(一七八二~一八五六年)(天明二年~安政三年)・ 日田出身の江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人。日田の長福寺に塾を開き、これを後の桂林荘、咸宜園(かいぎえん)へ発展させた。咸宜園は一八九七年まで存続し、入門者は全国各地から集まり、延べ四〇〇〇人を超える日本最大級の私塾となった。豊後三賢人の一人。日田市長や衆議院議員(郵政大臣)だった広瀬正雄氏は淡窓の弟の広瀬久兵衛の子孫であり、その子息は現大分県知事の広瀬勝貞氏である。

語釈

*龜山・・・・・日田市内の小山で、隈城があった。
*宛・・・・・・ちょうど、あたかも。
*毛侯・・・・・日田の隈城主をしていた毛利氏は一六〇一年に佐伯に封じられた。
*画戟彩旌・・・美しく飾った鋒や彩りも鮮やかな旗、差物。
*蘆花・・・・・あしの花
*蒼蒼・・・・・あおあおとしている様。また、あおみを帯びている様。

通釈

亀山は往時と変わらず、昔の儘の隈川の中央にある。この亀山の地では、昔、毛利侯と島津軍が戦った古戦場があると伝えられている。今日、穏やかな水辺にたたずんでいると、此の処で鉾や鮮やかな旗を立てて戦ったことなど、一場の夢にすぎぬように思われる。ふと見れば、河原には月が青白く、葦の花の咲き乱れた光景を照らしている。