偶成(続天 61)

吟譜(PDF)

作者:大鳥圭介

(一八三二~一九一一年)外交官として日清戦争時に活躍。枢密院顧問。播磨国赤穂郡赤松村(現在の兵庫県赤穂郡上郡町岩木丙石戸)の医師・小林直輔の子として生まれる。幼名、慶太郎。父も学んだ閑谷学校(しずたにがっこう)で漢学、儒学、漢方医学を学ぶ。一八四九年(嘉永二年)上郡に帰郷し、蘭方医・中島意庵の助手となる(この頃名を圭介と改める)。一八五二年(嘉永五年)蘭学修行の為、上坂して緒方洪庵の適塾で蘭学と西洋医学を学んだ後、一八五四年(安政元年)に適塾時代の仲間と共に江戸に出る。薩摩藩の知遇を得て翻訳などの手伝いをした後、坪井塾で塾頭となり、軍学、工学に関心が移るようになる。この間、西洋式兵学や写真術を学び、同時期に勝海舟の知遇を得る。中浜万次郎に英語を学ぶ

通釈

備考

江戸末期、戊辰戦争にて生き残りの旧幕府軍は五稜郭へ立て込もった。官軍の攻めに備えたが海と陸からの総攻撃に堪えることはできず、戊辰戦争は終わりを迎える。指揮官である大鳥圭介が最後の決戦地である五稜郭にて、官軍に追い込まれた旧幕府軍との激しい戦い(函館戦争)の様子を詠った漢詩です。 自分たちの新しい故郷として蝦夷地開拓をしてきた当時の志士たちは、どれほどの困難だったか想像もできません。