熊本城(続天 62)

吟譜(PDF)

作者:原 雨城

一八八四~一九七一)大正、昭和の漢詩人、画家、書家。 字は篤。 雨城は号。ほかに以居主人とも号した。肥後(熊本県)鹿本郡八幡村杉(現山鹿市)の人。祖父は肥後藩士原彦次郎元重。元重は歌人で白露仙桂舟と号した。熊本師範学校を卒えて菊池郡陣内、砦各小学校訓導、大正二年釜山尋常高等小学校長となる。済々黌生徒のとき、渡部太道弾師に漢学、京都にて詩人・書家福田静処、また大阪の春名栗城に詩書を学んだ。南画の泰斗姫島竹外の門に入る。その後、南画の絵心に疑心を懐きときに南米ブラジル日本人中学校リンス学園校長の職あり。渡伯、滞在七年。米国・ヨーロッパ・東南アジア等一周して自然の大観に接し、詩書画一体の境地に達し、『南宗以文派』を創始する。昭和十八年秋、第二次世界大戦の戦禍をさけ、山鹿市大宮神社隣接の地に住居を定め、『以文山荘』と称し画筆を揮い、詩書を繙き、詩画一体の絵を書き続け、同四十六年十一月二十五日没した。年八十九歳。

語釈

*蘇岳・・・・阿蘇山。
*火海・・・・不知火の海。旧暦八月一日(八朔)の未明午前一時ごろから出現し、二~三時間海上に点滅する。この夜は、高島公園は数千人の見物人で賑わう。
*白川・・・・阿蘇に発し、熊本平野を貫流して有明海にそそぐ。
*潺湲・・・・水のさらさらと流れるさま。
*藤公・・・・加藤清正。
*城偕熾・・・熊本城のすばらしい姿、清正の武勲、厚い信仰心その偉業はすばらしいものがある。
*勇魂・・・・たけだけしいつわものの魂。

通釈

雄大な阿蘇の五岳を東の空に望み、西は洋々として不知火の海が広がる。白川の水は悠然と熊本平野を南にさらさらと音を残して流れる。
熊本城(銀杏城)が巌としてその威容を長久に示すように、加藤清正の赫々たる武勲、偉大な治水工事による安民救済の功績は
後世に祭として輝くことである。そして、菩提寺本妙寺の苔深い石磴に降る蕭々たる秋の雨や、春の楠の若葉に嫋々と吹き来る東風も清正のたけき魂をなぐさめることである

範吟

範吟 磯田精信

伴奏

伴奏(2本)

伴奏(6本)