桂林荘雑詠諸生に示す(その三)(続天 67)

吟譜(PDF)

作者:広瀬淡窓

(一七八二~一八五六年)(天明二年~安政三年)江戸後期の儒学者。初めの名は簡、後に建と改めた。、豊後日田の生まれ。二十六歳の時、日田に塾舎桂林荘をつくり子弟を教育、三十六歳の時、塾生の増加により堀田村に 移り咸宜園(かんぎえん)と言った。門人四千余人の中から多方面に人材を輩出、幕府は育英の功を賞し士籍に列し、苗字帯刀を許した。安政三年没、年七十四歳。

著書に「約言」「迂言」「義府」「析玄」「遠思楼詩鈔」「淡窓詩話」などがある。

語釈

*幾人・・・・数えきれぬほど多くの人々。
*負笈・・・・郷里を出て遊学すること。
*両筑・・・・筑前と筑後と。現在の福岡県西北部と南部に当たる。
*双肥・・・・肥前と肥後と。現在の佐賀県と、長崎県の壱岐、対馬を除く区域。肥後は現在の熊本県に当たる。
*前後豊・・・豊前と豊後と。現在の大分県北部と福岡県東部が豊前であり、大分県南部が豊後である。
*房攏・・・・房室の窓。れんじ窓や格子窓。読書の声が窓外にまで響くこと。

通釈

ここ桂林荘の塾生になろうとして諸方于から集まって来た者の数は、数えきれぬほど多い。また、出身地も、筑前・筑後・肥前・肥後・豊前・豊後と多岐にわたっている。それら多くの塾生たちが、簾いっぱいに梅花の影のうつる、うららかな春の日の昼さがりにも勉学に励んで倦むことを知らず、読書の声が、あるいは高くあるいは低く、窓外に響いている。

範吟

範吟 鈴木精成